
本社・幣殿・拝殿
文化3年(1806)の再建。 左手が拝殿、右側が本社で両者をつなぐのが幣殿。 本社は隅木入春日造・正面三間、側面二間。幣殿は両下造・正面一間、側面三間。拝殿は入母屋造・正面千鳥破風、両側面と向拝に軒唐破風をつける。権現造の複合建築。 屋根は銅板葺。 本社は御姿岩に接し岩奥に御神体をお祀りしている。目貫の鷲、左右海老虹梁の2龍ほか彫刻が多い。 格天井の花草飛龍の絵は仙台藩の絵師根本常南の筆。
国祖社・額殿
享保年間(1716~35)建築。 入母屋造銅板葺正面3間、側面5間、妻入、正面向拝一間付。 もと榛名山西部の御祖霊嶽にあったものを、本社のそばに摂社として祀るようになったと伝えられている。神仏分離以前は本地仏を安置し、本地堂とも呼ばれた。 祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと・崇神天皇の皇子。上毛野国君・下毛野国君の始祖)、彦狭島命(ひこさしまのみこと・豊城入彦命の孫)、御諸別命(みもろわけのみこと)。
文化11年(1814)の増築。 入母屋造銅板葺で北面は国祖社に接続。 額殿は本来は神楽の拝見所であるが、大小の「太々御神楽」の扁額を揚げてあることから額殿とも呼ばれている。
双龍門
竣工は安政2年(1855)。 一間一戸四脚門で総欅造り。 入母屋造、銅版葺、正面と背面に千鳥破風、四面に軒唐破風をつける。 4枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された龍の彫刻が施されていることから双龍門と呼ばれるようになった。 羽目板の両面には「三国志」にちなんだ絵柄が彫られており、天井の上り龍、下り龍とともに双龍門の風格を高めている。 棟梁群馬郡富岡村清水和泉、彫刻武蔵熊谷宿長谷川源太郎、天井の龍は高崎藩士矢島群芳の筆。
神楽殿
明和元年(1764)に再建。 北面が唐破風造、南面が切妻造銅板葺で、北側が吹き放ちの舞台、南側を楽屋としている。 神に奉納する神楽を演じる場所であり、本殿と向かい合い、床の高さを同じくする。棟梁は佐藤直右衛門。
神幸殿
創建安政6年(1859)。 入母屋造銅板葺妻入。 毎年5月8日早暁本殿より神輿が渡御し、15日早暁本殿へ還御される。
随神門(旧仁王門)
弘化4年(1847)上棟。 入母屋造・銅板葺、正面と背面に軒唐破風付、三間一戸八脚門。 神仏分離までは二力士像があって雲慶の作と伝えられていた。
国指定史跡天然記念物
矢立の杉

昭和8年4月指定 約440年前武田信玄が箕輪城(城主長野業盛)攻略のみぎり矢を立て戦勝祈願した杉の巨木で樹齢約1000年・樹高55メートル・周囲10メートル余、枝南7メートル余、北5メートル余あり、さながら天をつくが如くである。近くに矢の久保、のぞき岩等の古戦跡がある。
群馬県指定重要文化財
鉄燈籠
竿の部分の銘文によると元亨3年(1323年)に沙弥願智が大工芳十光長に作らせ奉納したとある。材質が鉄であることや基礎の唐獅子が浮き彫りにされている格狭間の形状などに鎌倉期の特徴がよく表れている。 鉄燈籠としては県内最古。なお、笠の部分は後世の補作。 昭和57年4月20日指定
群馬県指定重要無形民俗文化財
榛名神社神代舞(太々御神楽)
創始年月日は不詳ですが、享保13年(1728年)の記録に、享保11年午年御開帳に一応御神楽の奏上がなされたことが知られ、その御神楽は、現在は勿論、享保13年再建によるものとは異なってはいても、似かよった神楽が相当古くから伝承されていたと思われます。36座の神楽舞が出来上がり、男舞21座、巫女舞15座で構成されております。舞の特色は男舞、巫女舞共に動作が厳格で、格調が高いこと、無言舞であること、男舞、巫女舞が交互に舞われること、神楽が始まると終わる迄拍子(台拍子)に少しの切れ目がないこと、祓・浄の精神が一貫して徹底していることで、特にこの最後の点は榛名神社の御神楽の特色であります。祓で始まり、途中に舞われる舞も「浄」であり「祓」であり、最後もまた祓いで終わり、終始一貫「祓」と「浄」に徹底しております。一般には、舞われる舞の精神は、奉納者の願意からなる、天下泰平、五穀豊饒、家内安全、諸願成就の舞ですが、更にその奥に、私等遠い祖先から伝へ来る、祓の精神に徹しております。 神楽は祭礼にのみ行うものでなく、講社等の申し込みにより奉納でも奏上されます。 平成15年9月19日指定




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